2020年2月21日に勝田声優学院の学院長でいらっしゃった勝田久さんが亡くなりました。
思い起こせば、私の声優人生は勝田声優学院から始まりました。
勝田声優学院は、声優になるための最初の学校として一番良かった学校だと思っています。
2015年に勝田声優学院は閉校していますが、今でも声優業界では勝田の卒業生が多数活躍しています。
声優になるのに声優養成所は厳しい方がいいと別の記事で紹介しました。
「厳しい」にも色々あります。
私が最初に通った勝田声優学院は業界でも「厳しい」ことで非常に有名でした。
何が「厳しい」のかを古い記憶をたどりながらご紹介していきます。
もくじ
勝田声優学院とは?
勝田声優学院は東京豊島区の高田馬場駅から少し歩いたところにありました。上京したての私は、声優になることを夢見て勝田声優学院に3年間通いました。
毎週のレッスンをがむしゃらにこなしているだけでしたが、声優業界の「厳しさ」を教えてくれた学校です。
どんな学校だったのか思い出してみます。
【1】多くの声優を輩出した名門私塾
私は大学在学中に勝田声優学院のことを知りました。正確には勝田声優学院は声優養成所ではなく、勝田先生が開いた私塾です。
とあるブログで勝田声優学院を知りました。
今私が書いているブログのように、声優になるのなら「プロの声優の輩出率」を基準に選ぶのがベストだと書いてありました。
少し調べてみると出るわ出るわ、有名声優の活躍っぷりです。
ここだ!
私は確信しました。
勝田声優学院は、今でも活躍している声優を輩出した名門私塾だったのです。
【2】お茶の水博士が学院長
勝田声優学院の学院長をされていたのは「勝田久」先生です。アニメ鉄腕アトムでお茶の水博士を演じられていた声優さんだと知りました。
私の両親は声優になることを最初は反対していましたが、上京する段階になると父は少しだけ応援してくれていたように思います。
私の父は手塚治虫の大ファンです。
「お茶の水博士の声優養成所に行く」
と告げた時は、ちょっとだけ嬉しそうでした。
【3】声優業界ではめちゃくちゃ有名な声優私塾だった
勝田声優学院はこの後もご紹介しますが、本当にたくさんの有名声優を輩出しています。
私が他の声優養成所を受けた時も、勝田声優学院の卒業生に会うことは多々ありました。
当時の私は情報収集能力が全くなく、勝田声優学院が私塾であったことを後に知ります。
声優養成所と言っていましたが、声優事務所が運営している声優養成所ではなく、勝田久先生が開いた私塾です。
勝田声優学院のカリキュラム
他の声優養成所と比較するために、勝田声優学院ではどんなレッスンが行われていたのかを紹介してみます。
私は勝田声優学院22期なので、他の期になると少しカリキュラムは違うかもしれません。
【1】勝田声優学院1年目
勝田声優学院の1年目は、2つの科に分かれていました。1つが本科、もう1つが基礎科です。
2つの科の違いを見てみましょう。
【本科】
レッスン回数:週3日
レッスン内容:演技、声楽、発声、滑舌
学費:年間50万円くらい
【基礎科】
レッスン回数:週1日
レッスン内容:演技
学費:年間25万円くらい
1年目の勝田声優学院でのレッスンは、本科が週に3日ありました。演技のレッスンは1年目は勝田久先生が講師でした。基礎科は週に1日、演技のレッスンが主だったように記憶しています。基礎科でも演技のレッスンは勝田久先生が講師でした。
私は、週に1日だけでのレッスンでは声優になりづらいと思い込んでいたので、本科を選択しました。
【2】勝田声優学院2年目
【研究科】
レッスン回数:週1日
レッスン内容:演技、舞台
学費:年間25万円くらい
勝田声優学院での2年目は、週に1日のレッスンです。しかし、週に1日だけのレッスンでは物足りず、休みの日に集まって同期の子達と練習したことも良い思い出です。
【3】勝田声優学院3年目
【ゼミ科】
レッスン回数: 週1日
レッスン内容:舞台ほか
学費:ちょっと記憶がありません
勝田声優学院での3年目は、ゼミと呼ばれる個々の講師が開いているレッスンです。ゼミは1年間で、選択制でした。私が勝田声優学院に入る前には野沢雅子さんもゼミを持っていたのだそうです。
勝田声優学院は厳しい声優養成所?
勝田声優学院のカリキュラムを見てみても、他の声優養成所とあまり違いはないように思います。
しかし勝田声優学院は、なぜ多数の有名声優を輩出できたのか?
それは1年目の勝田久先生のレッスンがあったからだと思います。
【1】優勝劣敗の精神
勝田先生はレッスン初日、ホワイトボードに「優勝劣敗」という文字を大きく書きました。
はあ?声優になるためのスキルを磨けに来たのに、国語かよ!
そう思った勝田生は少なくないと思います。(勝田声優学院の生徒は勝田生と呼ばれていました)
そして「半年後には、このクラス1/3くらいになってるよ」と先生。
しかしレッスンが進むにつれ、その単語の意味を痛感するようになります。
【2】農協に就職した方がいい
勝田先生のレッスンは、声優に向いていない、能力的に無理だと判断した場合には容赦なく切り捨てる言葉を投げかけました。
勝田先生の口癖は
「君は声優に向いていないから、農協にでも就職した方がいい」
今思うと農協の人に失礼です(笑)
キラキラした目をしながらレッスンを聞いている勝田生はショックを受けた人も多かったようです。
その口癖を言われた人は、次の週には勝田声優学院を去っで行きました。もちろん全員ではありません。
「なにくそ!」
としがみついてきた勝田生には、いつも通りレッスンをしていました。
この勝田先生の「農協にでも就職した方がいい」という口癖が「厳しい」と感じた勝田生は多かったんじゃないかと思います。
勝田先生の予言通り、GWが明けたころには1人、2人と同期がいなくなっていきました。
【3】地獄の「はい、次」
私は幸い?「農協に~」の言葉を浴びせられることなく、平凡にレッスンを受けていました。
ところが私にも苦難のときが・・・。
私のクラスは20名ほど。
勝田先生のレッスンでは、外郎売や短い芝居へと進んでいきました。
夏くらいだったと思います。
今思い出しても泣きたくなる「はい、次」の苦難です。
20名くらいいた同期は16名ほどに減っていましたが、2時間で16名全員均等に見ることは勝田先生はしませんでした。
勝田先生のレッスンでは、その日一番最初に手を挙げた人から順に、課題の演技を見せます。
最初に手を挙げた人には演技指導にも熱が入り、30分以上の時間を使ってレッスンが進みます。
しかし2番目以降に手を挙げた人には、演技にダメ出しもほとんどせず、「はい、次」という冷酷な言葉のみ・・・。
でもこの冷酷と思える言葉にも勝田先生の想いがありました。
「1番に手を挙げるくらいの積極性がないと声優にはなれない」
という教えが隠れていたのです。
この「はい、次」によって、またもや脱落者が出てきました。
私も1番に手を挙げるというごく簡単なことすらできませんでした。
誰かが手を挙げたのを横目で見て、2番、3番に手を挙げる・・・。
「はい、次」
勝田声優学院の裏手にある公園で泣きました。
そのころは、勝田先生のレッスンが辛くて辛くて辞めたいと思っていました。
【4】地獄から這い上がる
「はい、次」によって、落ち込みまくった私ですが、起死回生を果たします。
忘れもしません。
ある台本で、記者を演じました。この台本は1年のしめくくりに後輩に見せる勝田恒例の発表会用の台本です。
「記者」としか役の設定が書かれておらず、勝田先生は「自由に演じる役だ」とおっしゃっていました。
条件としては
- 台本のとおりのセリフを発する
- 男女は関係ない
- この役を成立させる
というものでした。
なんとか毎週通っていたものの、
「はい、次」によって打ちのめされていた私は、怒りすらわいてきていました。
「勝田先生をぎゃふんと言わせたい!」←古い表現ですがw
別に衣装もメイクも必要なかったのですが、
あずき色の割烹着を買い、メイクをし、頭を小麦粉で真っ白にして、
「おばあちゃん」でその役を必死に演じました。
勝田先生は・・・・
大笑いしていました!
自分の膝をバシバシ叩くほどの爆笑です!
私の目の前が開けました。
涙が出るほど笑いに笑って、勝田先生は言いました。
「発表に出なさい」
今度は私が泣きました。(帰宅してからですが)
【5】勝田精神は不滅です
勝田声優学院は、私が入る前から「厳しい」ことで超有名でした。
厳しいところの方が自分のためにもなると考え、私は勝田声優学院を選びました。
勝田先生の「農協に行った方がいい」「はい、次」によって、辞めていった同期もたくさんいます。
そういう意味では「厳しい」学校であることは間違っていないでしょう。
しかし勝田声優学院を卒業し、実際に現場に出てみると勝田先生が教えてくれた「優勝劣敗」の意味がよくわかります。
①勝田先生の厳しさと優しさ
声優業界は、それはそれは厳しいところです。
ディレクターさんは、声優の演技が良くても褒めるなんてことは絶対にありません。
プロの声優として仕事に来ているからです。
そのディレクターさんをぎゃふんと言わせるくらいの演技をしなければ、生き残っていけない世界なのです。
厳しいと言われた勝田先生は、見込みのない声優志望者に対して、「農協に行った方がいい」と声優を目指すのをやめたほうがいいと促しています。
一見厳しいように見えますが、声優業界が生活するのにも困るほどの厳しい業界であるからこその助言でもあります。
そんな「厳しさ」を乗り越えた人でないと声優業界ではやっていけないことをご存知だったのです。
②積極的に前に出ること
「はい、次」は積極的に前に出ること教えてくれていました。
今でも積極的にチャレンジすることの大切さが身に染みます。
失敗しても、どんどん前に出ること。
業界に出て、尻込みしているような声優は一人もいません。
ちょっと古い言葉ですが、ハングリー精神を持っている人でないと声優として仕事をしていくことなどできないのです。
勝田声優学院が有名声優をたくさん輩出できたのには、きっといくつも理由があります。
私は思います。
勝田精神こそが、有名声優を輩出した理由なのだと。
さいごに
勝田先生、本当にお世話になりました。
私はまだ、「優勝劣敗」の精神で声の世界にいるつもりです。
勝田久先生のご冥福をお祈り申し上げます。