【体験談】適応障害になった私。適応障害の原因や改善方法を振り返る
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芸能人や声優さんでも適応障害になる人がいます。そもそも適応障害とはなんなのでしょうか?うつ病とも似ていますが違いがあります。私の経験した適応障害になるまでの原因と改善方法をご紹介します。

当然人によって原因も改善方法も違います。また私自身は医療従事者ではありませんので、科学的な根拠のあることは述べることはできませんのでご了承くださいね。

適応障害とは


適応障害とは、ある特定の事柄や環境が原因で、その人にとって苦痛になる病気です。人によっても出てくる症状は様々です。しかしその原因になる事柄から物理的に離れることによって症状は緩和されます。

情緒面や身体面の症状


適応障害は、情緒面や身体面に症状が現れます。 憂鬱な気分や不安、焦り、緊張などの心のネガティブな感情を多く感じます。身体面では、めまいや吐き気、頭痛などが症状として現れます。さらに行動面でも、飲酒量が多くなる、暴食、攻撃的になるなど症状が現れます。

うつ病になる前段階


適応障害はうつ病になる前段階とも言われています。通常適応障害と診断されて、ストレス源となる事柄や環境から半年くらい、物理的に離れることで治ると言われています。しかし適応障害を患いながら、なんらかの理由でストレス源から離れられない場合、うつ病に移行してしまうでもあるそうです。

どれくらいの人がなるのか?


ヨーロッパでは、人口の約1%が適応障害になってしまうというデータがあります。 しかし6ヶ月間の時間を経過しても症状が改善しない場合、うつ病や統合失調症といった他の精神的な病気として診断されることが多くあります。

急激な環境の変化や大きなストレスによって適応障害が引き起こされ、それが慢性的なものとなってしまい、別の病気として後に診断が下されることになります。

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適応障害の症状


適応障害の症状は人それぞれです。情緒面、身体面、行動面全てに症状が出る人もいます。私の場合にはどれにも当てはまっており、私が体験した症状をご紹介します。

情緒面


一般企業に勤めており、教育関係の部署に配属されていたため「明日の研修がうまくいかなかったらどうしよう」とか「明日地震が来たらどうしよう」とか。
小さな不安から、考えても仕方のない大きな不安まで、とにかく不安でいっぱいでした。

後でもお話ししますが、先輩社員とウマが合わなかったことが一番の大きな原因です。そのためその先輩社員の顔色を常に伺って、説教されないかということばかり考えていました。その一般企業を退職する時には、毎晩先輩社員から叱られる夢を見ていました。

身体面


東京田町駅に勤務先があったため、自宅から電車を乗り継いで出勤していました。田町駅で大勢のサラリーマンが無言で歩いているのを見て、足が震えたのを覚えています。また常にふわふわしたような、浮遊感のあるめまいを感じていました。

症状がひどくなると、めまいに加え、吐き気ももよおすようになっていました。

行動面


先程ご紹介した行動面での症状にピッタリと当てはまります。もともとお酒を飲むことは好きでした。ストレス解消のため、その一般企業に入ってからはほぼ毎日お酒を飲んでました。最初はグラスに1、2杯程度でしたが、だんだんと量も増え、一晩にワインを一本空けてしまうことも増えてきました。

お酒を飲みながら愚痴をこぼすことも多くあり、原因となった先輩社員に対して怒りを覚えることも少なくありませんでした。

私が適応障害になるまで


自分自身が適応障害になるなんて思ってもみませんでした。それまでの私の人生は順風満帆とまではいかないまでも、それなりに成功したと自負していました。

声優をやめた


声優事務所に所属することができ、6年ほどかけて声優になりました。ところが仕事は全くと言っていいほど来ることがなく、声優の仕事だけで生活できるレベルには至りませんでした。それまでに通った声優養成所の費用は、借金をして賄っていましたので、次第に返済に追われるようになってきました。

これではまずいと思い、一旦声優を休業し、就職することにしました。

一般企業に就職


声優になりたいと思った頃から、その業界でアルバイトをしていたことが功を奏し、契約社員として一般企業に入社しました。元々アルバイトとして勤務していたこともあり、上司には良い評価をいただいていたのだと思います。

異例の出世


契約社員として入社しましたが、トントン拍子に出世しました。他の先輩社員にも「シンデレラガール」なんて言われて舞い上がっていた時期もあります。契約社員として入社後、2年目で正社員として登用されました。

人生で初めてのボーナスをもらい、それは全部ではありませんが借金の返済に充てました。

勤務時間が長い・通勤時間が長い


正社員になって店舗勤務ではなくなり、勤務地が東京田町駅の支店になりました。自宅からの通勤時間は一時間半です。また、社員やアルバイトの教育部門として配属されたため、遅くまで残業になることも多かったです。

始発で自宅を出て、終電近くまで働くこともザラです。その企業では「みなし残業」制度を導入しており、30分分の残業代がつくのみでした。

先輩社員からのおかしな教え


私が配属された教育部門では一人の先輩社員から様々なことを教わりました。研修の組み立て方、研修への心構えなど基本的なことをその先輩は教えてくれました。
しかし私が納得できなかったことがいくつかありました。その頃は「ブラック企業」という言葉が世間も浸透してきている時期でした。

ある日疲労で具合が悪かったため、定時で帰ろうとした私に「みなし残業代をもらってるんだから、定時で帰ってはいけない」ということ先輩社員に言われました。

その先輩社員は、みなし残業代をもらっている限りはその分も必ず残業しなければいけないという考えの人だったのです。

みなし残業制度というのは、残業がほぼ発生するということを見越して、ある程度の時間の残業代を支払うという制度です。ただしその設定した時間を超えた時間に関しては、さらに残業代を支払うという制度なのです。

休みの日は寝てるだけ


みなし残業のこと以外にも、研修についてのダメ出しで、「30分だけ」という打ち合わせで3時間になってしまうこともしばしばでした。当然休みの日は何もする気が起きず、昼頃まで寝て、スマホで YouTubeを見て、横になっていることが多くなりました。

外に遊びに行く気力もなく、笑顔も減っていきました。

出勤できなくなる


その後、田町駅に着くと雑踏が怖くなりました。無言で人が同じ方向に歩いて行くのが怖いのです。軍隊のようなザッザッザ・・・という足音が聞こえるような気がしました。さらに常にふわふわとする感覚のめまいの症状が出てきました。

頭にも重りを乗せたような、締め付けられるような感覚がありました。朝起きると「仕事に行きたくない」ではなく「仕事に行けない」という気持ちになりました。

心療内科へ


この時点でおそらく何かのメンタル的な病気だと自覚した私は、心療内科に行きました。電車に乗ることもすでに怖くなっていたので、自宅近くの心療内科に行きました。その心療内科では、薬を処方してくれましたが、症状を改善することはできませんでした。

症状が治まらず、仕事に行けない日々が続きました。 自分自身でメンタル的な病気になってしまったという事実は到底受け入れられませんでした。そこで自宅から二駅ぐらいの少し大きな街の心療内科に行きました。

電車に乗ると不安が強くなるので、旦那についてきてもらい、そこで適応障害と診断されました。

配属を変えても治らない


適応障害は原因となるストレスから距離を置くことが重要だと言われたので、上司に相談し、配属を変えてもらいました。これで治るはずでした。しかし症状は一向に良くなりませんでした。

それどころか、浮遊感のあるめまいは慢性的に続き、人と話すことにストレスを感じるようになったのです。

配属を変えてもらって、3、4ヶ月経った頃このままでは本当にうつ病になってしまうと思い、すでに借金を返し終わっていたということもあり退職を決めました。

適応障害からの脱出


私が適応障害になってから、すでに四年以上経過しています。ストレスからは解放されているはずなのに、現在でも、人混みにはよほど元気な時でないと行きたくありません。電車でも、新宿や渋谷など20分くらいの時間でもかなり疲れます。それでも、現在はフルタイムでの仕事に就いています。

それができるようになったのは、もう一度声を使った仕事をしたい、何かクリエイティブな仕事をしたいというやる気が湧いてきたからです。

Webライターとしての仕事


実は、適応障害が治らない、一生このままだと思った時、家から出られないなら家で仕事をすればいいと考えました。もし家で仕事ができてそれで生活ができるのならば、東京にいる必要はないと考えたのです。

そこで内職がないのかどうかインターネットでの検索をしました。内職と言うと、シールを貼ったり、造花を作ったりというイメージがありました。でも今の時代は違うんですね。

そこでランサーズというクラウドソーシングに登録してみることにしました。パソコンが一台あればできるかもしれないと思い、ランサーズで仕事を探しました。すると「声優経験者求む」の文字が!

この時点では Webライターがどんなものなのか、全く知りませんでした。そもそも私に記事が書けるなんて思っていませんでした。すぐにその求人に応募すると、クライアントさんもとてもいい人で、無事納品することができました。

しかもクライアントさんが私のことを褒めてくれ、「質の高い記事をありがとうございました」と言ってくれました。人から褒められたのは久しぶりです。そのクライアントさんは思いもしなかったでしょうが、私はパソコンの前で泣いてしまいました。

もう一度声優の仕事を


そこから幾つかランサーズでライターの仕事をしました。プロフィールの欄に元声優だと記載していたため、ナレーションの仕事があるというスカウトを受けました。声優事務所にいた時は全く仕事がなかった私にとってそれは光でした。

クライアントさんと連絡を取り、 YouTube の動画のナレーションとして対応されました。フルタイムの仕事は、契約社員として続けながら、宅録で音声を収録し納品する。
このことが私の適応障害の症状を緩和していきました。

現在は心療内科には既に通っていません。しかし、知らない人と長時間話をしたり人が大勢いるところには、体調が良い時のみしか行けません。それでも四年前よりは随分と元気になりました。

他の病気にも関係があった?


結局今でも緊張する場面にはめまいのような症状が出ます。私の適応障害は完全に治ったわけではないようです。ストレスの原因からは離れて6ヶ月どころか4年も経ったのになぜ治らないのか他の病院にも行ってみました。

しかし色々な病院を回っても結局のところ完全に症状がなくなることはありません。人と接することにストレスを感じるようになってしまったようです。


自己分析をしてみただけですが、どうも自律神経のバランスを崩しやすくなってしまったようなのです。生理の前や雨が降る前など自律神経に何らかのストレスが加わると、前ほどではないにせよ、仕事に行けない日もあります。

それでもフリーの声優、 Webライターとして色々な仕事ができることを幸せに思います。

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